兄が亡くなってもう1年。一周忌のスピーチは誰がするのかなという会話をしていた。
というのが、葬式の祭は当然喪主である兄の長男(甥)が務めたのだが、なにぶん世慣れない人間なのでなんとも締まらない内容だったのだ。そんなわけで見かねた叔父が「一周忌は俺が替りにやってやろうか」と言い出した。
ところが意外なことに長男の妹である姪が「私がやります」と言い出したので、それならばと皆は見守ることにした。
思えばこの姪にとっても、父親である私の兄の死は本当につらいものだった。結婚を機に相手方の故郷に嫁ぎ、遠方であったため里帰りもままならず、子供が生まれてやっと首も据わって、初めての里帰りという矢先に兄は倒れたのだ。それは姪が帰って来るほんの1週間ほど前のことだった。
そのまま意識不明になって、駆けつけた愛娘と初孫の顔も見られぬままに兄はこの世を去った。
実は兄はガンである事を誰にも言わず隠し通していたのだ。同居していた長男にも、家に毎日通ってくるお手伝いさんにも悟られることなく、じっと痛みを我慢し続けていたという。
通夜に弔問に来てくれたお手伝いさんが「お父さん、倒れられる少し前にこんなことを言うておられたんです。私が『娘さんが遠くに嫁がれてお寂しいでしょう』と申し上げたら『いや、嫁がせた子やから、むこうで幸せにしとってくれたらそれでええねん。それに孫を生んでくれたさかいに、この腕に抱くまでは』死ねん』と笑っておられたんですよ…」という話をしてくれた時、姪は「ガンだっていうことを、せめて体調が悪いということだけでも言ってくれてたら、たとえ首が据わらなくても無理してでも連れてきて抱かせてあげたのに…!」と号泣していた。それは私たちにも本当に胸を打たれる光景だった。
思えばこの姪の結婚披露宴の祭、兄は新婦の父としてお色直しに退場する花嫁を立派にエスコートし、晴れやかな顔で誇らしげにスピーチをした。
「娘に腕組んでもらったなんて生まれて初めてや」と喜んでいた。あの時はあんなに元気そうだったのに…。
そして一周忌の法要で、姪が挨拶に立った。腕には1歳になったばかりの可愛い坊やを抱いて。
「皆様、本日は大変お忙しいところ亡き父の一周忌の法要にご参集戴きまして、誠に有難うございました。その節には大変お世話になりましたが、早いもので一年が経ちました。
初めての里帰りを間近に控えて、あれほどまでに待ち望んだ初孫を抱くことなく父は逝ってしまいました。本当は一日でも早く会いたかったろうに、里帰りについて電話をしても、いつも『無理するなよ』『小さい子は病気に免疫がないから、ゆっくり帰って来たらいいから』とこちらの心配ばかりをしていました。大変だったのは自分のほうなのに…。
やせ我慢しないで『早く会いたい、体の具合が悪いからすぐ会いに来てくれ』と言ってくれていたらと、何度も父を責め、自分を責めました。
でも時がたつに連れて、私はこう思うようになりました。弱音や愚痴を吐かず、倒れるまで誰にも不調を悟られることなく、そしてそのまま逝ったのは父の男としての美学であったのではと。初孫が男の子であったのも、自分の祖父がいかに男の美学を貫いて逝ったかということを身をもって示したかったのではなかったのだろうか、と…。
この子が大きくなるにつれ、折に触れてはおじいちゃんの生き様、そして死に様をきちんと伝えていってやろうと思っております。それが父にとって、何よりの供養になるような気が今はしています…。
本日は大変素志素養(そしそよう)ですが、父のことを偲びながらどうぞごゆっくりとご歓談ください。本当にありがとうございました」
姪のスピーチに私は涙が止まらなかった。親族一同も皆同じだった。亡き兄もきっと今ここにいて、愛娘の言葉を聞き満足していたに違いない。

